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2007年7月29日 (日)

池袋に!?

←自由の女神

東武東上線の池袋の駅にいつの間にか現れました。

いつからあったんだろう?

今日、気づきました。

そういえば今、池袋から日光までスぺーシアが直通運転しているんですよね。

便利になったものです。

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2007年7月25日 (水)

夏ということで

今回は俺が体験した恐怖体験です。

高2の時に友達の家に6人で泊まりに行ったときの話です。

その日は昼間はみんなでサッカーの練習をして終わってから夜に5円チョコパーティーをしました。

5円チョコパーティーというのは一人1500円を出し合い5円チョコを買えるだけ買い後はジュースとか果物を買って5円チョコを溶かしたりしてチョコバナナやらいろんなのをを作りみんなでパーティーをするというものです。(チョコはかなりあまります。)

友達の家は離れがありその2階に友達の部屋がありました。(パーティーの会場もそこでした)

パーティーも無事に終わり後片付けをし友達と話していました。

そうしたら6人全員が窓を見て凍りつきました。

固まっていると一人が

「みんな同じものをみてるよね?」

「たぶん・・・」

「一緒になにみてるかせーので言おう」

「せーの」

全員で・・・

「窓いっぱいに映る女性の右目」

びっくりして悲鳴を上げ速攻でカーテンを閉めました。

でもびっくりしましたが怖いという言う印象はありませんでした。むしろやさしいイメージです。(6人とも同じ意見でした。)

そしてその場は何もありませんでしたが朝起きたらものすごいことが起きていました。

なんとその場にいた全員が女性とお花畑で話している夢を見ていることがわかりました。

そしてカーテンを開けると絶対にありえないことに目が映っていた窓の外に口紅がついていました。

それも外にです。

先にも書きましたがそこの部屋は2階です。

人が立てるわけもありません。

どうやって口紅がついたかは謎です。

確かなことは窓に口紅をつけた何かがいたということです。

今でもそのときの友達と連絡していますがこの時期になると必ず話に出ます。

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2007年7月22日 (日)

ユニホーム

←表側

懐かしいな。これは俺が高校のときに所属していたサッカーチームのユニホームです。

16,7年前のものなのでぼろぼろなっています。

マークはフランス代表と同じものを使用しています。(今考えると芸がないですね)

でもこれは俺にとってはけして捨てられる品物ではありません。

なぜかというとこのユニホームは亡くなった彼女が背番号とマークをつけてくれたもので始めて彼女からもらったものだからです。(こういう思い出の品を捨てられないので嫁さんに突っ込まれるとつらいんです)

←裏側

背番号は11番でした。(小額と中学のときは10番でした。)

彼女が言うには俺のラッキーナンバーだそうです。

なぜかというと誕生日が11月29日でつきが11で日にちをたすと11になるからだそうです。

それから高校3年間は好んで11番をつけていました。(当時、キャプテンだったモンモンさんは10番を着せたかったらしいですけどね)

写真はセカンドジャージですが本来は青いユニホームです。

彼女がなくなってからはこのユニホームに袖を通していません。

クラブで着ようかと思ったこともありましたがどうしてもきることができませんでした。

結婚もしたことだし一つの節目として今度、クラブか何かで着ようか迷っています。

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2007年7月20日 (金)

鼻から牛乳な一日

今日、非番で3人して30分寝坊しました。

チャラリーン鼻から牛乳

なんと時間には間に合いましたがめがねかけ忘れて何も見えません。

チャラリーン鼻から牛乳

でも字を書くことがなかったので助かりました。

仕事帰り

電車に乗ろうとしたら定期を忘れた。

チャラリーン鼻から牛乳

電車に乗って次の駅で乗ってきて隣に座ったのが浮浪者

チャラリーン鼻から牛乳

でもすかさず前の車両に非難

家について

嫁さんに何か作ってもらおうと思ったら嫁さんでかけてた

チャラリーン鼻から牛乳

何か作ろうと思い冷蔵庫見たら何もなかった。

チャラリーン鼻から牛乳

買い物に行って会計するときに買い物袋忘れたことに気がつく

チャラリーン鼻から牛乳

仕方ないのでレジバックもらった

スカッシュ

一緒にやった男性が骨折した

チャラリーン鼻から牛乳

公ちゃんコーチの頭をラケットで殴った(事故です)

チャラリーン鼻から牛乳

謝って次のラリーでボールをぶつけた(これも事故です)

チャラリーン鼻から牛乳

鼻から牛乳 鼻から牛乳 鼻から牛乳

嘉門達夫の鼻から牛乳が耳から離れないたかさんです。

チャラリーン鼻から牛乳

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2007年7月17日 (火)

何もいえなくて・・・夏

きれいな指してたんだね 知らなかったよ

となりにいつも いたなんて 信じられないのさ

こんな素敵なレディが俺 待っててくれたのに

「どんな悩みでも 打ち明けて」そういってくれたのに

(J-WALK 何もいえなくて・・・夏)

この時期になると思い出します。

何回かこのブログでも記事にしましたが俺は、高2のときに彼女がなくなるという経験をしました。

そしてこのそのころの俺はショックで彼女がなくなってから二十歳まで女性と友達になるどころか話すことさえできませんでした。

ちょうど高2のこの時期はサッカーもスランプですべてが苦しい時期でした。

その中でいつもサッカーをもに来ていた同じ年の女性が俺を元気付けようといろいろ気を回してくれました。

時には食事に誘ってくれたり時には叱ってくれたりしてくれました。

でもその当時の俺はそんな余裕はなく彼女の気持ちに答えに答えることができませんでした。

そして彼女に言われた一言が今でも忘れられません。

スランプだった俺に

「たか坊君は、誰のためにサッカーしてるの?彼女のため?それとも自分のため?」

「その答えはっきり出さないと本当に駄目になるよ。」

その一言で考えさえられました。

「きっとと生きていたら今の俺を見たら絶対に嫌われる。」と思いサッカーをしているときはサッカーに集中しようと決めました。

そして結果は結構いいところまで出せました。

彼女の出した問いの答えとは違うものの何とか立ち直る一つの光が差したように思えました。

その矢先です。

彼女は東北のほうに引っ越すと聞かされました。

その話を俺にしたときにに彼女は「何もいえなくて・・・夏」のCDを俺にくれました。

何とか見送りにはいけましたがいまだにその彼女にお返しができていません。

俺にできたことは彼女の背中に「さよなら・・・」ということだけでした。

今はその彼女が今どこで何をしているかわかりませんがきっと幸せでいると思います。

もう一度彼女に会うことができたら心から「ありがとう」といいたいです。

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2007年7月15日 (日)

嫁さんとの食事

今日は、結婚して半年になるということで嫁さんと食事に行ってきました。

場所は、川越にある「ミルキー・ウェイ」という洋食屋です。

この店は俺的に雰囲気がすごく好きな店です。

店の中にはジャズが流れ恋人同士や夫婦で行くにはぴったりです。

嫁さんは、そこで人気№1のオムライスを俺は400gの手作りハンバーグとピザを食べまし。

オムライスは普通の量でしたがハンバーグのほうはかなり手ごわかったです。

写真はそのハンバーグです。赤いのはたまたまおいてあった嫁さんの携帯です。

このハンバーグを見て嫁さんの一言

「ギャル曽根に挑戦だね」

・・・無理です勝てません。

このハンバーグを完食したとき周りにいたお客から喝采を浴びました。

おいしくそして楽しい時間をすごせました。

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2007年7月12日 (木)

ついに恐れていたことが・・・

←酔拳2のジャケット

以前の記事で嫁さんがジャッキー・チェンにはまっていることを記事にしました。

そのときに酔拳とか木人拳とか嫁さんに教えないでおこうと書きました。

でも、ついに嫁さんがバンダレコードで酔拳2のDVDを見つけて買ってきてしまいました。

非常にまずいです。

ロック・ボトムに続く必殺技第二段になりかねないです。

あんまり酒の飲めない嫁さんにはあまり向かないと思いますが義理の妹2人は酒豪です。

嫁さんにもその血が流れています。

習得しないことを心から願っています。(実際には無理ですけどね)

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2007年7月 9日 (月)

ボーリング

今日、徹夜明けで疲れているのに嫁さんにボーリングに引っ張り出されました。

しかも川越から所沢まで約30分運転させられました。

車の中ではビートルズがかかっていました。

嫁さんがビートルズ聴くなんて珍しいので突っ込んでみると

「イマジンが聞きたい」といってました。

俺は、すかさず

「イマジンはジョン・レノンだよ。」と突っ込みながらMDを変えてあげました。

川越から所沢までイマジンがずーとかかっていました。

そして所沢のボーリング場に到着!

受付を済ませいざボーリングです。

1ゲーム目

二人して調子が最悪でお互いに最低スコアを更新する始末でした。

しかも100すら超えられず(恥)

スコアは

俺が

85点

嫁さんが

67点

最悪です。100点を超えなかったの初めてです。

そして2ゲーム目

いきなり嫁さんがストライクを出しました。

そしてカズダンス(古)もびっくりのアキダンスを踊っていました。

写真を撮ったんですが嫁さんに携帯を強奪されけされました。

俺は相変わらず調子が悪く後半でスペアが取れるようになりました。

スコア

俺が

113点

嫁さんが

108点

俺的にはまぁまぁでしたが嫁さんはあんまり良くないといってました。

3ゲーム目

俺の出足は快調で1フレーム8本で2、3フレームでダブル(2回続けてストライク)を出し調子がいつも道理になってなってきました。

嫁さんも調子が戻ってきたのかいつも道理になってきました。

俺はこの後もスペアとストライクを連発してかなりいいスコアになりました。

スコア

167点

嫁さん

119点

そして二人で車の中で反省会、ノーへっとが多すぎますという結論です。

俺が3ゲームで20回で嫁さんが15回でした。

これじゃだめですね。

次はノーヘッドを減らすようにしたいと思います。

帰りは嫁さんの希望で嘉門達夫です。

嫁さんが川口 浩に「お前は本当に探検家か?」とつっこんでいました。

近いうちに川口 浩について記事にしたいと思います。

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2007年7月 8日 (日)

手形

部屋の整理をしていったら幼稚園のときの物が出てきました。

これは俺が5歳の誕生日ときの手形です。

小さいですね。昔はかわいかったんですね。

身長が1mしかなく体重が15kgだったんですね。

今は、1m68cm、体重が54kgです。

←今の手と大きさの比較

今の手の第一関節の大きさです。

当時の記録を見てみるとこんな子だったみたいです。

お友達に優しく決して意地悪をしない正義感の強い子だったみたいです。

悪いことは書かないか(笑)

それにしてもいい物を見つけてしまいました。

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2007年7月 6日 (金)

小市民

ここ2回ばかり硬い記事を書きましたがここで元に戻そうと思います。

どうも。最近、「ゆけ!ゆけ!川口 浩」が頭の中からはなれないたかさんです。

まぁ、若い人は知らないと思いますけどね。

今日、結婚式の写真の追加を頼みに行くついでにDVDの予約に行ってきました。

そこで嘉門 達夫のベストを発見しました。

そこでつい買ってしまいました。

中学のとき俺の友達の中だけでかなりはやった歌です。

嘉門 達夫の中で俺が一番好きな歌は「小市民」です。

彼には「替え歌メドレー」という代表作がありますが俺はこの歌が一番好きでもっとも嘉門 達夫らしいと思います。

当時、好きだった人も嘉門 達夫が隠れて聞いていたのを思い出します。

なんか、日常やっていることを歌にしているので納得してしまうんですよね。

機会があったら聞いてみてください。

小市民

目薬さす時 無意識に口をあけてしまう

子供ができたら 年賀状に写真をのせてしまう

雑誌を買うとき 上から2、3冊目ぐらいをとる

雑誌のイエス・ノーテストをついやってしまう

ミカンにちっちゃな子供のミカンがついてるとうれしい

石鹸がすり減って小さくなったら新しい石鹸の上にはりつける

お風呂のお湯を入れようとしてシャワーに切り替えてありズブ濡れになる

シャンプー使い終わると中ブタをはずしてお湯を入れて使い切る

・・・この中で一つでも当てはまるあなたは立派な小市民です。

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2007年7月 2日 (月)

20世紀最大の環境破壊

カザフスタン・ウズベキスタンにまたがるアラル海という塩湖をしっていますか?50年ぐらい前は世界第4位の大きさを誇る内陸性の塩湖でした。しかし、1960年代からすさまじい勢いで干上がり続けました。いまでは4分の1の大きさまで小さくなってしまいました。

あとおよそ10年ほどでほぼ消えてしまうと言われています。縮小の原因は旧ソ連時代の大灌漑事業により、アラル海を支えていた2つの大河の水を農地に奪われていたことです。

そして干上がった湖底から大量の塩と砂塵が風によって運ばれ周囲数百kmの範囲で砂漠化を進行させているのです。当時、漁師だっった人は牧畜で生計をたてています。

家畜のエサとなる草は砂漠の中にはごくわずかしかなく。乳の出も少ないと言います。現金収入は家畜を売る以外にはなく、しかし家畜がいなければ生きていけない先の見えない日々を送っているのです。

前回、植林で砂漠化を止めようとした人がいます。サクサウールという乾燥に強い潅木が茂みを作っていましたが、今は一本も残っていません。住民が貧困のため、冬に薪用にすべて切ってしまったのです。植林活動の壁は住民の貧困なのです。今、街に残っているのは行き場の無い人々。健康被害も深刻化しているそうです。

アラル海は縮小し、大アラル海と小アラル海に分断されました。注ぎ込む川を失った大アラル海は10年以内にほぼ干上がると予想されています。数年前は川の水量が足りないため、塩分が強すぎ、カンバラという一種類の魚しか獲れなくなっていました。そこでカザフスタン政府は川の水を無駄なく小アラル海に導くためのダムと水路作りに取り組みました。しかし、砂で築いたダムは強風でたちまち決壊、失敗に終わりました。しかし、アラル海の問題は世界的な環境問題だと、国連がカザフスタン政府に協力、2005年、28億ドルをかけたコクアラルダムが完成したのです。今、塩分濃度はダムができる前の4分の1にまで薄くなりました。

この海から消えた100種類以上の魚がいなくなりました。5年前にはいなかった コイやフナなどいろんな種類の魚が戻ってきたのです。水位は1mぐらい上がり、湖岸は20mぐらい村に近づいきました。

20世紀最大の環境破壊、アラル海。人々は今も無謀な自然改造の付けに苦しみ、世界では同じような悲劇が繰り返されています。しかし、棄てられた海に世界の手が差し伸べられたとき、アラル海の再生が始まりました。

この湖を破壊したのも人間ですが復活させるのもまた人間なのです。

旧ソ連の大灌漑事業とは

1950年代、旧ソ連政府は2つの大河の水で砂漠の灌漑をもくろみ、その結果砂漠は大農業地帯へ変貌した。綿花栽培を行って莫大な外貨をもたらして、その結果は「社会主義の勝利」として華々しく喧伝された。しかしこの計画はずさんなものだった。土を掘っただけの運河はざるのように水を通し、水は農地へ届かないまま無駄に失われた。そして土壌にはもともと塩分を多量に含んでおり、水を大地に与えた結果地表に塩分が噴出し、不毛地帯になってしまった。原因を作ったソ連は崩壊、400万人にのぼる農民が荒廃した農地に取り残された。川は枯れ、アラル海の水は1日10m以上も縮小。生き物が消え、干上がった跡には大量の塩が噴出した。

(素敵な宇宙船地球号ホームページより参照)

前の記事の化学物質過敏症の記事も読んでみてください。

ホームページアドレス

http://www.tv-asahi.co.jp/earth/

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